沿革

「連合赤軍の全体像を残す会」は、1987年に生まれました。
以後、関係者にインタビューを行い、事件についての証言を記録(録音)する活動を続けてまいりました。
1997年5月には、当事者と有志10数名で、群馬県の事件跡地を巡る「慰霊の旅」を行いました。
2003年2月に「連合赤軍殉難者追悼の会」を開催し、2004年からは『証言』を発行しています。
2008年公開の映画「浅間山荘への道程 実録連合赤軍」の公開後は、より開かれた活動を展開しています。

事件の全体像の記録、公開を目指して

 会が正式に結成されたのは1987年1月で、連合赤軍事件の全体像を記録し、後世に残すことを目的としていました。
 この間の経緯については、別項の、『証言』創刊に際して書かれた「発行にあたって」をご覧ください。
 当初の活動は、裁判の進行中だったこともあり、弁護団と協力・分担して上告趣意書の一部の執筆も分担しましたが、関係者をインタビューして、テープに残す活動を中心としていました。
 そのほか、裁判資料を中心とした文書の保存についても、弁護団の角田儀平治先生(故人)が郷里で建設していた「赤城山麓老人村」に「赤城文庫」を設立する構想なども追及しましたが、未完に終わりました。

より開かれた活動へ

 その後、2003年2月に開催した「連合赤軍殉難者追悼の会」は、長らく非公開の私的な活動を行ってきた「残す会」の活動の第一の画期となり、2004年からは、インタビューのテープを起こして公開する『証言』の刊行を開始しました。
 あれだけの事件のことです。事件関係者はいまだ存命しており、人権上も慎重な配慮が必要です。しかし、同時に当事者による資料の検証もまた必要であり、100巻を超すテープの記録も、ようやく公開が許容され、また、必要な時期が到来したと考えました。

 第二の画期は、2007年に制作され、2008年に公開されて幾多の賞を受賞した若松監督の「浅間山荘への道程 実録連合赤軍」です。
 この映画を契機として、連合赤軍事件に対する一般の関心が高まりました。すでに、2000年前後から事件に関する著作と映画の発表が多くなり、私たちの『証言』の創刊の背景ともなっていたのですが、「実録連合赤軍」の公開はこの動きを確固としたものにしました。
 「残す会」も、2009年7月の「読者交流会」の開催以後、2010年6月の「討論会 RED現象の意味するもの」の開催など、公開の催しも行うに至っています。