浅間山荘45周年にあたり、
戦後史の中の連合赤軍
映画がとらえた連合赤軍
作家が描いた連合赤軍
の三つの角度から連合赤軍について考える催しを開催しました。
本号では、その全容を記録しました。
また、昨年上梓されて話題を呼び、本シンポジウムでもパネリストとして登壇頂いた桐野さんの著作『夜の谷を行く』の書評(三上治さん)も掲載しました。
─2018年2月10日発行
目次
参加の呼びかけ
浅間山荘から45年 連合赤軍とは何だったのか
第 1 部 戦後史の中の連合赤軍
戦前共産党の基本理論となった福本イズム
右翼の内ゲバを止めた三島事件
事件の総括をしないと日本のリベラル活動が停滞する
日本共産党の作風が左翼運動を規定してしまった
兄弟や男女の関係を否定した「総括」
死を突きつけても総括要求にはならない
森恒夫に指導者としての素質はあったと思う
離脱することへの贖罪感はあったか
第 2 部 映画がとらえた連合赤軍
語られなくなった「彼らが目指していたもの」
総括を止められなかったのは「勇気がなかった」から?
30年間、皆が映像化できなかった連合赤軍事件
「勇気」は坂東や坂口に求めた言葉だった
悩みながらも理想を目指すことこそが勇気
問題があった時は妥協せず突き詰めるべきだった
赤軍派は迷ったら「左」へ行っていた
理論ではなく感性でついていけないと思った
闘争から離れる喪失感から離脱が遅くなった
試行錯誤を前提に行動すれば間違いはない
団塊世代にとって赤軍派とは自分たちのことだった
第 3 部 作家が描いた連合赤軍
「あの子たちは兵士ではない」
前半の青春劇と後半の陰惨さの差異に興味を持った
永田さんの手記は計らいがないと思った
永田さんは頑張り屋の活動家でしかなかった
永田さんは美醜で評価された女性差別の犠牲者でもある
永田は案外正直に書いていると思った
50年に向けていかに事件を風化させず残して行くか
当事者の心に寄り添った違和感ない叙述
──書評『夜の谷を行く』(桐生夏生)── 三上治
青砥幹夫 至るところで革命がすべてついえていく…第1部から
私は、山の中で一番重要な発言は、亡くなった山田さんが、亡くなる前ですが、中央委員会の中で、死を突き付けても総括要求にはならない、なぜならば、死は一般的なものだから、というような話をなさったということを漏れ聞いています。このことは山田さんの本意ではないと思うんですが、どうして重要かというと、我々は、要するに総括要求の中で死を突き付けているという明確な意識があったということです。
どうしてそういったことが組織の中で可能なのか、ここが一番問題だろうというふうにずっと考えてきました。先ほど、ブントは日本共産党を批判する形で出てきた、と。それはアンチテーゼとして出てきたわけであって、批判する観点はたくさん持っていたけれども、しかし、それを克服するような組織形態というのは遂に獲得できないままになってしまった。一方では、ロシア革命でスターリンがひどい粛正をやった。中国でも同じことをやっている。どこでもやっていますね。
至るところで革命がすべてついえていく。それは何に原因があるのか? 共産党の組織構造に問題があるのか、あるいは人間の集団の中での官僚構造に問題があるのか、あるいはそれを乗り越えられない人間の倫理観に問題があるのかとか、そういったさまざまな問題があると思うんですけれども、私はどうしても山田さんが最後残した言葉にこだわらざるを得ない。それをずっとこの何十年間考えてきました。
一つの小さな集団のイデオロギーと称するものを突き付けて、おまえはこれに命を懸けろ、これに懸けられないのだったらおまえを殺す、というような組織が至るところにあると思うんですね。我々もそうだったと思っています。そういったものはどこから生まれてくるのかということが一番大事な話だろうというふうに私は考えているんですが、これは結論が出ません。
末弟の「勇気がなかった」のシーンをめぐって…第2部から
原渕勝仁
若松監督が何で「勇気」のシーンを入れたのか。
あれは、レバノンのベカー高原というところがあるんですけれども、もちろん足立監督のほうがよくご存じですが、そこで坂東国男さんに会ったんですって。最初なかなか会わせてもらえなかったらしいんですけれども、バールベックという世界遺産があって、そこで 2 人は会って、そのときに坂東さんの口から、銃撃戦の中で、一番過激だったのが元久さんだった、と。
さらに「勇気」の件なんですけれども、映画をご覧になった方はご存じだと思いますが、「勇気がなかったんだ」、あんな感じでは言わなかったんだけど、坂東さんが、元久が、坂東さんや坂口さんにもっと勇気があったら、僕の兄ちゃんは死ななかったのかな、というふうに言ったんですって。さすがに坂東さんはそれを聞いてへこんだと。その話をバールベックで監督が聞いて、これは絶対映画に入れたいと。
足立正生
今、「勇気」ということについて、若松孝二が坂東から聞いた言葉であるというんだけど、そのことに間違いはないんですけれども、「勇気」という意味がこの映画の中では全く違ったものに変えられて使われてしまったという、本当に慚愧に堪えないところがあるんです。
というのは、….坂東が言ったのは事実なんですが、つまり言いたかったのは、革命をしようとしていた、その中でどうしたらいいのか悩むこと、わからないこと、それからちょっと疑問に思ったり立ち止まることがある。その悩むこと、わからないと言い切ること、それを引き受けることというのが「勇気」だというのが、坂東やあなたたちが若松さんと話して入れようとしたんですね。
ですから、「実録・連赤」の中で、結論として落とし前がついたな、なんて先輩が言ったからというので腹を立てて、落とし前はついてない、「勇気」がなかっただけじゃないか、というのは、別に坂口や坂東が「勇気」がなかったという問題ではなくて、革命家が、自分がわからないならわからないこと、悩んでいること、それでも目指していること、そういった自分を認められるかどうかというところに「勇気」はあると。
桐野夏生 ふわっとみえた救い…第3部から
ある日、大谷先生という、永田洋子さんの弁護をされた弁護士の先生から女性の方を紹介されました。それは当時、革命左派の救援対策をやっていた女性でした。その方にお目に掛かったときに私が「女性兵士について書きたい」と言ったら、いきなり最初から「女性兵士という言葉にはすごく違和感がある」とおっしゃったのです。「女性兵士ではないんですか」と言ったら、「あの子たちは普通の女の子だった」というふうにおっしゃられたのですごくびっくりしました。
山岳ベースで女の人たちが次世代の革命戦士を産んで育てようというような壮大な計画があった。そのために集められた子もいる、と。だから、金子みちよさんは、もちろん兵士ではありますけれども妊娠中だったし、山本夫妻は赤ちゃんを連れてきたし、保育士さんとか看護師さんとか、そういう子供に携わる方々が多く参加されていた。
初めて聞いたことでしたので、今まで散々読んだ資料の中にも表れていなかったから、私としては救いを見たような気がしました。金子みちよさんのようにおなかの大きい若い女性が、ああいう亡くなられ方をするというのは、本当に私は耐えられなかったんですが、その方の話を聞いたときにちょっと救いがふわっと見えました。