70年安保を目前に、街頭実力闘争が次々と繰り広げられ、騒然とする世情の中で、赤軍派50余名が大菩薩峠の「福ちゃん荘」に集結。
しかし、首相官邸占拠の大望かなわず、公安警察に一網打尽される。
何をめざし、何を成し遂げようとしていたのか。
─2004年4月25日発行
「首相官邸占拠」で、何をめざしていたのか
元赤軍派政治局員、八木健彦氏のインタビュー。
1988年1月10日、八王子市の民宿でおこなわれた。
初期の「残す会」の推進力だった三戸部貴志氏(故人、元ML同盟議長)を筆頭に、赤軍派、革命左派の関係者十数名が合宿し、八木氏のお話を伺った。
さわり
三戸部 その計画は金いくら準備していたんだ。現金は?
八木 えっ?
三戸部 現金はいくら位持っていた?
八木 一応同志社から京大の自治体を握っていたから、実際に8月も結構使っているけど………。だから総体としては500万以上は使っている。
三戸部 昔から何かことを起こす時は、どんな時代劇見たって書生っぽが住み込むとか、食い詰め浪人に1年2年飯を食わせておく体制とか人の飼い方、行動の取り方、アジトの作り方はある。
(準備できたものが予定以下だったら、それで)現実に取り得る行動を推し量ってやるか、ないしは全体の計画を取り止めるか、二つに一つしかない。
………
森 だから馬の上で「やあやあ我こそは」 ってやってるのと、会津っぽの白虎隊のあのスタイルだね。一貫して。そういうスタイルを踏襲していけば、究極的には「やれない、やれない、やれない」で先鋭化していく。当然連赤にいきついちゃうわけ。