掲示板アーカイブ(2010〜2023年8月)

森恒夫から見える日本の概念 投稿者:マダム 投稿日:2023/08/22(Tue) 09:36 No.230
いくらなんでもこんな奴がリーダーとは酷すぎる
赤軍派だけで200人以上逮捕されてましたから
残りカスとはいえ森恒夫なんかがリーダーになれば成れの果てがコレですよ
いまでも日本は年功序列・年上至上主義があります
無能だったり器量もない奴が年上ってだけで上に立ち偉そうにできます
こういった概念を改めないといけませんね。

森恒夫の自殺 投稿者:マダム 投稿日:2023/08/22(Tue) 09:14 No.229
森恒夫が自殺した要因は
こういった本がどんどん出てきて自分の情けない過去が露わになることを悲観したんではないでしょうか?

『連合赤軍 この人間喪失』は第一弾に過ぎない
この先、とりわけ高校時代の自分の過去
みんなから「らっきょ」と呼ばれ仲間外れ
運動神経がまるでなくお情けで主将にさせられた剣道部時代
試合すら出してもらえなかった弱い自分
「剣道の試合中に気絶して目覚めたときには別の人格に生まれ変わった」
この嘘八百の体験談など
どんどん暴露されそうで自殺したんじゃないでしょうか?

森恒夫という奴 投稿者:マダム 投稿日:2023/08/22(Tue) 08:54 No.228
『連合赤軍 この人間喪失』
昭和47年3月16日から7月12日まで『読売新聞』に連載されたものまとめた本。
この本が出版されたのが同じ年の1972年です。
官憲に「おっちゃん、かんにんや、逮捕せんとってぇや」
ブンドの内ゲバの時すぐさま自己批判を行い「リンチにかけないでくれ」と泣きながら命乞い
そして敵前逃亡
と森恒夫の情けない過去が載っていますね。

収監されてた連赤メンバーは、この本を読んでどう思ったんでしょうか
こんな情けない奴が自分たちに厳しく指導して命がけの総括を要求していたとは・・

連合赤軍事件の全体像を残す会 投稿者:マダム 投稿日:2023/08/06(Sun) 09:11 No.227
『証言』
いや~、この本も凄いですね
当時の時代背景、赤軍派や革命左派の成り立ちなど詳しく証言されてますね
意外だったのお馴染みの金廣志さんが
遠山美枝子、山崎順、進藤隆三郎、植垣康博など赤軍派メンバーの本名を知らなかったとか(笑)
革命左派もそうですが、みんな仮名や通名を使ってましたよね
同志でありながら、お互いよく知らない人たちの集団って気がします
だからこそ躊躇なく殴れたんでしょうか

雪野さん、ありがとうございます。 投稿者:マダム 投稿日:2023/07/31(Mon) 22:11 No.226
そうだったんですか・・
雪野さんと加藤さんの対談は素晴しい内容だけに、ちょっとした問題があるのは残念です。
若い佐賀氏の処女作だけあって権利関係に疎かったかもしれませんね。

様々な連赤関連の書籍 投稿者:マダム 投稿日:2023/07/29(Sat) 21:05 No.221
連赤関連の本はほとんど読みました
当事者の著書は自己弁護も含むので一長一短ですね
時系列に沿って当事者と関わった証言なと事実だけを追った書籍なら
『連合赤軍 この人間喪失』が素晴らしいですね
読売新聞社社会部の記事をまとめた本です。

『虚ろな革命家たち~森恒夫の足跡をたどって』
この本も素晴らしいですね
2022年 ノンフィクション賞を受賞してます
森恒夫に焦点を当てた凄い本です

Re: 様々な連赤関連の書籍 投稿者:雪野 投稿日:2023/07/31(Mon) 13:25 No.225 Mail
この著者は、許諾を得ずに未公開資料や対談を公開しています。
例えば、私と加藤倫教さんの対談がそうです。
集英社担当編集部は、この著作権法違反を見過ごしています。
著者の佐賀旭君は、ノンフィクション作家としての最低限のモラルを失っています。

雪野さん、植垣さん、前澤さん 投稿者:マダム 投稿日:2023/07/29(Sat) 21:57 No.224
あの当時、森恒夫が
こんな情けない奴だと知ってましたか?

トップに立ってはいけない人の成れの果てがコレです
重信房子さんの証言でしたっけコレ

無題 投稿者:マダム 投稿日:2023/07/29(Sat) 21:48 No.223
高校時代は「らっきょ」と呼ばれイジられてた森恒夫
大阪弁で言う「はみご」だったのです
剣道部に入るも、さほど運動神経が良いわけでも剣道が上手なわけでもなく「なんでこんな奴がここに居るの?」と思われてた森恒夫
寡黙で人と交わらず、仲間もどう扱っていいかわからず
「はみご」で可哀想だし真面目だからという理由で主将にさせられます
剣道は下手クソで試合すら出たことはありません
あの有名なセリフ
「高校時代、剣道の試合中に気絶して目覚めたときには別の人格に生まれ変わったような気がした」
これは大嘘です
だって森は試合に出たことがないし、北野高校の剣道部なんてお気楽クラブ、練習でさえ気絶なんてありえない と
高校の同級生らが証言してますね

もう一つ敵前逃亡した情けない過去がありますが
このエピソードだけは山岳メンバーに披露したみたいですね
ただし、自分に都合が良いようにストーリー仕立てで語り涙さえ流してますね
「これで総括できたもんね~」とか言って、情けない奴

無題 投稿者:マダム 投稿日:2023/07/29(Sat) 21:46 No.222
森恒夫は初めて逮捕された時、
「おっちゃん、かんにんや、逮捕せんとって」と乞いました
完黙が当たり前なのにいち早く自供したり、その後デモに参加する時はデモ隊から離れて指示をし、顔見知りの刑事には挨拶を欠かさなかった森恒夫

共産主義者同盟から関西派(赤軍派) vs 関東派・中間派とで内ゲバした際、
森恒夫ら2名が中間派に拉致され関東派の拠点に監禁された時、
自己批判を迫られ1人は頑なに拒否し壮絶なリンチに
森恒夫はすぐさま自己批判を行い泣きわめきながら「リンチにかけないでくれ」と命乞い

『連合赤軍 この人間喪失』に書かれてますね
この情けない森恒夫の正体を山岳メンバーは誰も知らなかったのでしょうね

雪野さん 投稿者:マダム 投稿日:2023/04/25(Tue) 09:07 No.220
漫画の『レッド』読んだことありますか?
雪野さんも「恵那」として描かれてますが
全体的にあの漫画、どう評価してますか?
信ぴょう性は何%くらいでしょうか

雪野さん、当時は天皇についてどう思ってましたか? 投稿者:マダム 投稿日:2023/03/01(Wed) 17:53 No.218
天皇とは何ぞや!日本とは何ぞや!と天武天皇が製作したのが「古事記」や「日本書紀」ですよね。
あまりにも争いが多かったため自分たちを神様の末裔に設定し何ビトも恐れ多い存在として君臨してきました。
実はこの古事記というのは中国神話や民話から丸パクリしてる箇所が多く、当時は遣隋使が中国から文化やシステムを持ち帰ってることから参考にしたのでしょう。
純朴で無知な民たちはすっかり信じ込んじゃって、未だに天皇誕生日には一般参賀の人々が手を合わせて拝んでる次第です。
まぁ、令和の現代ではさすがに神様の末裔と信じてる人は減ったでしょうけど
天皇家には歴史や伝統があると崇めてる人が大勢います。

しかし北朝鮮を見てください!
建国者の金日成を。
実在した伝説の将軍キム・イルソンに成りすました彼の本名はキム・ソンジュです。
以来、今の金正恩に至るまで狂信的に民から支持されています。
【嘘っぱちの設定】で君臨してる様は天皇家と同じです。
そこには歴史や伝統は関係なく血筋なんでしょうね。

共産主義にとってまず排除すべきなのは天皇家ではなかったでしょうか?
実行したのは東アジア反日武装戦線と奥崎健三だけです。

Re: 雪野さん、当時は天皇についてどう思ってましたか? 投稿者:雪野 投稿日:2023/03/07(Tue) 10:14 No.219 Mail
当時、天皇については何も考えていませんでした。
天皇を「排除」しても何も変わらない、と考えていたと思います。
これについては、妥当な判断をしていました。

植垣君の印象に反対しません 投稿者:雪野 投稿日:2023/02/24(Fri) 10:13 No.216 Mail
いまどき、「かわいこちゃん」という表現は良くないですが、彼がそのように感じたのは無理がない、とおもいます。
芸能人はあまり良く知らないので、「誰タイプ」かとの質問にはすぐに思い当りません。

Re: 植垣君の印象に反対しません 投稿者:マダム 投稿日:2023/02/24(Fri) 21:27 No.217

「彼がそのように感じたのは無理がない」
なるほど、理解しました。ありがとうございます。

くだらない事ですが、雪野さんへ質問します 投稿者:マダム 投稿日:2023/02/24(Fri) 09:54 No.215
当時の女性活動家で美人といえば大道寺あや子さん、重信房子さんが印象的ですが、革命左派の大槻節子さんはどうだったですか?
植垣氏によると、初めて見た時「え、こんな可愛い子ちゃんが・・」と書き記していますよね
芸能人に例えると誰タイプでしょうか?

従順で活発で一生懸命で頭も良く可愛い子ちゃん、そんな大槻節子さんがなぜ殺されてしまったのか・・・

坂口弘さんの支援団体について 投稿者:匿名 投稿日:2022/08/27(Sat) 07:29 No.213
坂口菊枝さんを支える会は今現在も存続しているのでしょうか?
坂口弘さんの支援団体についてご存知の方がいれば教えて頂きたいです。

Re: 坂口弘さんの支援団体について 投稿者:雪野 投稿日:2022/08/27(Sat) 14:51 No.214 Mail
坂口菊枝さんは亡くなられていますし、「支える会」は活動を停止していると思います。
面会している救援関係者がいましたが、現在も続けているかは知りません。(調べてみます。)
ただ、面会と文通はできませんが、差し入れをしている支援者はおり、連絡できます。坂口君からは簡単な礼状が届いています。

女性戦士たちは今? 投稿者:マダム 投稿日:2022/06/24(Fri) 12:41 No.210 Mail

寺林真喜江、杉崎ミサ子、伊藤和子、今 何をしてるんでしょうか? 当時の状況を語ってないですよね。
また、川島陽子、松本志信、中村愛子、この辺の女性戦士も今どうなってるのか?
赤軍派の玉振佐代子なんかも活動してないんでしょうかね?
意外なのは持原好子が今も活動してる事です。彼女に思想信条なんてものはなく山岳ベースでも早々排除されていたのに、どうして活動家に目覚めたんでしょうか?
これら女性戦士に関して少しでもご存知の方 ぜひ教えてくださいませ。よろしくお願いします。

重信房子が出所されました、次回のシンポジウムがあるなら参加して欲しいです。

Re: 女性戦士たちは今? 投稿者:たけ 投稿日:2022/07/06(Wed) 08:10 No.211
マダムさん
持原好子さんは今でも活動家として動かれているのですか。
検索しても何も情報が出て来ませんでしたが、別のお名前で活動されているのでしょうか?

Re: 女性戦士たちは今? 投稿者:マダム 投稿日:2022/07/06(Wed) 18:28 No.212 Mail
たけさん

彼女は大阪に住んでるそうです。
元赤軍派の方たちも多様に活動してるみたいですね。
http://dadesigna.blog.fc2.com/blog-entry-1257.html?sp

これは2017年の記事ですが、最近の記事もあったはずが見つかりませんでした。

バングラのテロについて 投稿者:匿名希望 投稿日:2016/07/08(Fri) 20:03 No.208
バングラのテロの犯人達が「裕福な子弟」と「貧しい子弟」だった事が報道されてます。
革命左派も吉野氏や寺岡氏は割と裕福な家庭に育ったようです。
その一方で家庭にあまり恵まれていない方もいたようです。
このような生育環境は運動に何か影響していたのでしょうか。

Re: バングラのテロについて 投稿者:雪野 投稿日:2017/07/23(Sun) 20:59 No.209
久しぶりにサイトを更新して、この質問に答えていないことに気が付きました。1年以上後の応答になりますが、悪しからず。
活動家の生育環境は、ある程度その人の活動家としてのパーソナリティに影響を与えていると思います。
育ちのいい吉野君などの場合は、「自己否定」の屈折した心情がありました。彼は何度も自殺を企てています。
これに対して、川崎高校の高校生や、生粋の労働者の場合は、よりおおらかで一緒にいて安心できる頼もしさがありました、
あくまでも一般論ですが。

雪野さん逮捕の件 投稿者:匿名希望 投稿日:2016/06/16(Thu) 19:52 No.203
雪野さんが新宿の喫茶店「ピクニック」で逮捕された時に
永田は「大声で泣いた」と「小説連合赤軍」に書いてありますが本当でしょうか。

ところで雪野さんから見て「連赤本」では、それが最も真実に近いでしょうか?

Re: 雪野さん逮捕の件 投稿者:雪野 投稿日:2016/06/18(Sat) 07:05 No.205
「小説連合赤軍」のこの記述の真偽はわかりません。関係者の著作にはなかったと記憶しています。
この本はあくまでも小説、フィクションと理解して下さい。
「赤い雪」もそうですが、著者の品性が露呈する部分が多く、見てきたように著者の空想を書いた講談本の類いと理解して下さい。
ただ、100%空想という訳ではなく、他の報道や調書、関係者へのインタビューなどに基づいた部分もあるはずで、これは個々に検証する以外にありません。
この件、面会できる人を介して、吉野君に聞いてみます。

Re: 雪野さん逮捕の件 投稿者:匿名希望 投稿日:2016/06/19(Sun) 08:42 No.206
適切な返答をありがとうございます。
「永田が泣いた」件は雪野さんこれまでご存知なかったって事で宜しいですか。

私はむしろ永田・植垣氏らの著作ほど「自分に都合よく書いた自己弁護小説」と思っています。

Re: 雪野さん逮捕の件 投稿者:雪野 投稿日:2016/06/20(Mon) 10:02 No.207
「永田が泣いた」という記述は何かで読んだ記憶がありました。
今回、「小説連合赤軍」だったことがわかりました。
これを読んだ時の印象を率直に言うと、「そうか」というもので、ありうることのように感じました。

無題 投稿者:匿名希望 投稿日:2016/06/16(Thu) 19:53 No.204
それが最も真実に近いでしょうか?→訂正です。
どれが最も真実に近いでしょうか?→

雪野さんにお聞きします。 投稿者:おかつき部隊 投稿日:2015/03/12(Thu) 19:17 No.197
革命左派も警鐘時代は穏健でわかりやすい言葉で語る組織だったと聞いています。
そんな組織が最後はとんでもない過激な組織になっていった原因は何でしょうか?

公安に監視されたり大学当局から弾圧されたからですか。

Re: 雪野さんにお聞きします。 投稿者:雪野 投稿日:2015/03/12(Thu) 20:07 No.198
うーん、まさに連赤総括の中心課題ですね。
いろいろ考えていますが、結局、自分たちを一般民衆より一段高い存在と考える思想が、あのような世界に至らしめたと言えるように思います。
「自分たちは革命的だから、こんなに厳しい状況の中でも自己犠牲を払って闘争を進められるのだ」といった倒錯した自負がありました。

Re: 雪野さんにお聞きします。 投稿者:あかつき部隊 投稿日:2015/03/14(Sat) 10:24 No.199
返信ありがとうござます。
今話題のイスラム国の処刑者でも学生時代は大人しい真面目な生徒だったと聞いてます。

公安の執拗な監視。友人・知人たちまで事情徴集されて
引き裂かれていって孤立化する。
日大看護の三人でも親ま呼び出されている。
頼みの日大全共闘は弾圧されていて十分な支援できず。
川島氏でも卒論でさんざん教授会に嫌がらせをされて泣いていたと聞きます。
雪野さんの場合は弾圧はどうだったのでしょうか?

Re: 雪野さんにお聞きします。 投稿者:雪野 投稿日:2015/05/15(Fri) 15:39 No.202
この件、返信しかけて、多忙でそのままになってしまいました。
私の場合は、69年9月の羽田空港突入事件のあとに、大田区矢口の勤務先で退勤の時に私服刑事が待ち構えて、尾行されました。
露骨な密着尾行や、その後永田に対してやったような「駅の階段で突き飛ばす」といったことはありませんでした。
69年12月末から名古屋にうつり、以後は公安に把握されなかったので、東京に残った諸君とは事情が異なりました。

革左全体については、上記のようにかなり悪質な嫌がらせを受けたものもいました。
これは、権力に対する反発を生みました。
しかし、だからと言ってそれが過激路線の原因になったわけではありません。

公安の影 投稿者:あかつき部隊 投稿日:2015/05/14(Thu) 20:07 No.200
よく言われる事ですが、この会のみなさんから見て
連赤には公安のスパイはいたのでしょうか?

Re: 公安の影 投稿者:雪野 投稿日:2015/05/15(Fri) 15:31 No.201
いなかった、というのがこれまでの私の結論です。
もしいたら、ずっと前に大菩薩事件のように一網打尽になっていたでしょう。

本質をついた意見です。 投稿者:山田 投稿日:2015/01/02(Fri) 18:59 No.196
こんな意見もありますが・・・

自分や自分の身近な人間を幸せにするための地道な努力をするのがイヤな人間が、
それをごまかすために、おれは世の中全体をよくするために頑張ってるんだ、という考えに
逃げ込んだという面もあったんじゃないの。

雪野さんにお聞きします。 投稿者:山田 投稿日:2014/12/04(Thu) 18:22 No.193
過去レスを全部読んでませんが
連合赤軍で事件を語るのはいつも同じ連中。
植垣氏とか前沢氏とか・・
私はむしろ下級兵士たち。寺林さんとか中村さんとか伊藤さんなど・・・
会として、この方たちと連絡は取れているんでしょうか。

Re: 雪野さんにお聞きします。 投稿者:雪野 投稿日:2014/12/06(Sat) 13:22 No.194
直接、連絡の取れている人はいますが、経歴を伏せて暮らしている人も多く、そのような人たちには連絡を避けています。
連絡をとることによって、社会生活に波乱が起きることは全く本意ではありませんので。
これまで発言していなかった「下級兵士」の発言については、岩田平治さん、持原さんのインタビューを掲載した、『証言』が、まもなく発行の予定です。

Re: 雪野さんにお聞きします。 投稿者:山田 投稿日:2014/12/14(Sun) 13:08 No.195
下記のような意見もあります。
確かに生活壊してまで・・って気持ちはわかりますが
あれだけの事件を起こして、その後の社会のあり方に「多大な悪影響を与えた」んです。
私はある大学の自治会再建運動に関わった者ですが「連赤=学生運動=人殺し」のイメージが我々にどれほど不利益を与えたことか・・・・・

>>男はロマンチスト、女はリアリストというのは
当たってんのかな。
自分たちのやったことが何の意味もないことだったとは思いたくない、とか考えてシンポとかやってるのは
男ばっかりだし。

永田のような女 投稿者:あかつき部隊 投稿日:2014/11/06(Thu) 19:06 No.186
私の会社に「永田そっくりのお局様」がいます。
ところがある人に聞いたら、その女性の新人のころは
オドオドしておとなしい子だったそうです。
永田も最初はそうだと聞いた事がありますが本当ですか。

Re: 永田のような女 投稿者:雪野 投稿日:2014/11/08(Sat) 07:13 No.189
私が最初に永田と会ったのは、多分1968年か69年ですが、その頃は確かにどちらかというと、目立たない、しかし口は多い人でした。
彼女が自信満々となり、他の指導部メンバーが無視できなくなるのは、1970年になって獄中の川島豪の支持を得て、その代理人のように振る舞うようになってからです。
なお、さらに1年後、獄外で川島豪なにするものぞ、という態度をとりはじめるのは、森恒夫と頻繁に会い、傾倒するようになってからです。

Re: 永田のような女 投稿者:あかつき部隊 投稿日:2014/11/20(Thu) 18:16 No.192
ご存知と思いますが森や永田の小学校や中学校の教員の証言を集めた潮出版『連合赤軍 この人間喪失』という本があります。
永田は「ジコチュウだが人なつこい」という評が多いです。
彼女はGO川島にレイプされたと主張しますが
私は疑問を持っています。嫌な男にいやいやレイプされたのに
何故、その組織に留まっていたのか・・普通は組織から離れるはず。坂口氏も言ってますが「永田はどうも話を自分に都合のいいように作る癖があったとしか思えません。

連続投稿ですいません 投稿者:あかつき部隊 投稿日:2014/11/06(Thu) 19:41 No.188
ウーマンリブの田中美津さんが
「男以上に男の論理を持ち、男に頭をなでられたい女は
全て永田洋子」と語っていますが(今月のサピオで小林よしのりが紹介してます)
皆さんはどう思いますか?

Re: 連続投稿ですいません 投稿者:雪野 投稿日:2014/11/08(Sat) 07:57 No.191
後段(男に頭をなでられたい)には永田のパーソナリティーとして同意しますが、前段には半分同意、半分不同意です。
「男の論理」としては、議論で割り切って過激な結論を強いる、という点ではわかりますが、そもそも永田には、「論理」はあまりなかったのです。
直感的で、情緒的な言葉はありましたが。
こういう言葉に論理で対抗するのは至難のことです。
森が永田に究極的なところでひっ張られて、主導権を取られているのは、このような二人の関係があったからです。
連合赤軍問題を、永田のパーソナリティーだけを重視して議論するのは、適切ではありません。

毛派 投稿者:あかつき部隊 投稿日:2014/11/06(Thu) 19:22 No.187
私は学生運動が下火になった
1970年後半に大学生活をおくったものです。
大学はある地方の革マルの拠点校でした(今も)
また中国研究の盛んな大学で毛派もたくさんいました。
内ゲバの全盛期でしたので「身の安全面??」から
民青の周辺にいました。

革マルの連中ともさんざんやり合いましたが、少なくとも
彼らには人間味を感じました。

ところが毛沢東学生戦線の連中は教条主義というか
まるでリーダーの言う通りに動くロボットのような感じで
無表情の能面のような感じがすごく不気味でした。
革左の些細なことを摘発する体質は、永田個人の資質もありますが「理」と「情」に欠けた融通の利かない部分があったのではないでしょうか?

それに引き換え、赤軍派は「いい加減な飲んだくれ親父」のようなアバウトな体質で水と油だったのでは・・

単純化は危険 Re: 毛派 投稿者:雪野 投稿日:2014/11/08(Sat) 07:32 No.190
確かに、両派のメンバーのパーソナリティーは、対照的であることが多かったのですが、そうでない場合もありました。
典型的な性格が対照的だったからといって、うまく付き合えないという訳ではありません。世の中には、似た者夫婦もあれば、正反対の性格でうまくいっているカップルもあります。組織の場合もそうです。
なお、些細なことを問題にしたのは、確かに永田の性格から来たところが大きいと思いますが、それは革命左派のメンバーすべてがそうだった訳ではなく、革命左派にもバランス感覚に富んだ、おおらかな性格の人もいたわけです。
問題は、なぜ、そのような議論に対抗できなくなったか、という点です。

森という男、永田のような女。 投稿者:あかつき部隊 投稿日:2014/11/06(Thu) 19:04 No.185
森の口癖は「世界から飢餓を無くしたい」だったらしい・・
子供のの時は成績は1番、クラス委員をやるのが当たり前の
超優等生。そんな人が何故こんな陰惨な事件を・・

連合赤軍残党は速やかにアジア主義の理念に到達して頂きたい! 投稿者:ダンボール 投稿日:2014/06/11(Wed) 23:00 No.183 Mail
連合赤軍残党は速やかにアジア主義の理念に到達して頂きたい! そしてアジア主義者であることを正式に公の場で表明して下さい。もし、それができないなら、その理由を示して下さい。

もし、示せないで、なおかつアジア主義の理念に賛同することを諸兄(←この言葉は、元連合赤軍に関わった関係者だけでなく、連合赤軍に関心をもった全ての人を指して私は使っています)が拒むなら、それは人間の皮をかむった悪魔、非人間的な犬畜生の類と貴方を呼ぶことを、私はためらいません。

侵略主義と区別される平和主義のアジア主義の理念を開示するために一冊の書物を私は書きました。WEBで全面公開しています。無料で読めます。

『来たるべきアジア主義』の序文と内容目次のアドレスにリンクを貼っておきます。

大量の血が流され、無数の命が絶たれたのです。冗談で私はこういうことをやっているわけではないことは分かって頂きたいです。

▼『来たるべきアジア主義』序文&目次 ↓http://blog.goo.ne.jp/dan5dan5/e/47e0bc5818b4a00c484e47bcdd009c43

久しぶりに自分の文章を読んでみましたが、過激すぎますね(苦笑) 投稿者:ダンボール 投稿日:2014/09/02(Tue) 17:44 No.184
この発言をする前に、比較的穏健で妥当(?)な主張もしてますので、併せて読んで頂ければ幸いです。皆さまのご健闘を祈っております。

ブログ記事⇒【霊告日記】第六回 三島・連合赤軍・オウム
http://blog.goo.ne.jp/dan5dan5/e/255611fc00b3b2cf0132ce53c14e85fa

会員登録させていただきました 投稿者:ふるかわ 投稿日:2014/03/12(Wed) 19:30 No.182
雪野様
活動のご紹介をありがとうございます。
私は学生運動が下火となってから産まれた人間ですので、当時の背景、雰囲気、空気というのは体感していません。従って関係者の方々を批判する資格はないわけです。
そんな中で思うことは、自分が1960年代~1970年代前半に学生であったなら、本当に人として正しい選択ができただろうか?今後同じような事件を起こさないためにはどうすべきか?ということです。
最近近代史に興味を持ちだしたところですので決して偉そうなことは言えませんが、日本独特の、特攻に見られるような、人の命の重さに対する認識の甘さみたいなものが関わっていないだろうか と考えています。
総括の事件なども含め、決して他人事とやりすごしてはならないと感じています。
一方、当時の日本人の政治への関心の高さや行動力というのは、現代人の見習うべき点と思います。情報化、多様化、個人主義が浸透していく中で、我々が国民としての責任を認識し、行動していくにはどうすべきか、勉強させていただきながら考えていきたいと思います。
よろしくお願い致します。

この間の活動 投稿者:雪野 投稿日:2014/03/11(Tue) 22:02 No.181
サイトの更新の時間が(というより、気持ちの余裕が)ないので、簡単にこの間の活動を紹介します。
●2012年12月 北関東への慰霊の旅を、約15人で行う。その一端は、皓星社の「証言」総集編に書かれています。
●2013年4月 印旛沼へ慰霊の旅。13人ほど参加。現地はすっかり変わっており、現場は特定はできなかったが、植林地の中に花を手向けてきました。
●2013年6月 山から離脱した連赤兵士の岩田平治さんから話をききました。講談社に会場を借り、約20名が参加。その内容は近く発行の「証言」11号に掲載します。
●2013年10月 横浜へ墓参の旅。鎌倉霊園の寺岡さんの墓にお参りした後、レストランでお母さまと会食。そのあと、庭で柿の実をもいで、お土産に頂きました。帰路に金子さんのお墓にお参りしてきました。
●2014年3月 有志4人が、大阪で持原さんの話を聞きました。この内容も「証言」に紹介します。

感想・疑問など 投稿者:きたむら 投稿日:2014/02/22(Sat) 22:16 No.179
連合赤軍は避けてきた話題なのですが最近興味をもっていろいろ調べるうちに感想・疑問が生じました。失礼な部分もあると思いますが皆様のご意見を伺いたく存じます。(敬称略)
1.森・永田は集団の中の絶対権力の魔力におぼれ、暴力(権力)をもてあそぶ破滅的な喜びを楽しんでいたように見える。意味不明な「共産主義化」イデオロギーが良心を麻痺させる言い訳になったのだろう。
2.森・永田は「世間の恐れる過激派首領」という立場を楽しむ世俗的な人間であって純粋な動機はなかったと思う。川島、塩見もその仲間ではないか。新左翼の指導者がまともだったら四分五裂したはずはない。
3.メンバーは川島・塩見をなぜ信頼したのか。オウムの場合は麻原の教団であり、それに入ったのだからマインドコントロールがまだ理解できるが、反帝左派・赤軍派の場合はそこが分りません。純粋すぎて騙されたというみじめな結論になるのだろうか。
4.交番襲撃計画はあまりに無謀であるが、実行者(柴野)のアイデアなのではないか。そうとすれば一連の事件の端緒を作った柴野には森・永田・坂口に続く重大な責任があると思います。

Re: 感想・疑問など 投稿者:雪野 投稿日:2014/03/11(Tue) 21:48 No.180
森、永田が浅慮で資質に欠けていたことは事実です。また、その絶対的な権力に溺れて組織に破局をもたらしたことも事実です。
しかし、彼らがそれを楽しんでいたとは思いません。
少なくとも、その出発点の動機は純粋なものであり、むしろその純化の極にあの悲劇が起きたと思います。
連合赤軍のメンバーには、指導部に絶対の信頼を寄せていたものもいますが、多くは、彼らに不満を持ち、異論も抱いていました。
しかし、全体として、運動が目指していたものへの共感が、あの破局の最後まで彼らを導いたのであり、この心理と具体的な心情の解明が大きな課題となります。
昨年6月に実施した岩田平治さんの聞き取りなどでは、この観点からおおいに参考になる事実が出てきています。
柴野さんが交番襲撃事件の中で果たした役割は、まだ十分明らかになっていません。しかし、私の印象としては、川島の「奪還指令」が最も大きな要因となっています。

無題 投稿者:igaguri 投稿日:2012/06/13(Wed) 01:25 No.158 Mail
1968下巻を読んで
当時の若者に取って革命とはその時代背景もあってリアルなものだったのでしょう。そこが、同じ現代的不幸ともいえるオウム真理教事件とは一線を画すものと思います。その時代のなかにあって組織の利己的な論理や複雑な人間関係が交錯していったのですが、動機は善意から始まったものと思います。それだけに純粋な人ほど一連の闘争について自己
確認だけで終わらすことができなかったように思います。恐らく連合赤軍の方々は「今更
後には引けない」ここで妥協、一歩後退は自身を否定するという思いがあったのでしょうそれが一つの悲劇を生んだようにも思います。また総括ですが、私の経験上、似たようなことが会社という組織の中で結構、行われてるような気がします。世間の縮図として捉えさしていただければと思います。

Re: 無題 投稿者:留三郎 投稿日:2013/02/17(Sun) 20:36 No.178
学校のイジメと同じようなもんじゃない。
冬山での生活で溜まってたストレスや性欲が暴力にいっちゃったんじゃないの?
女性参加者が極端に少なかった場合暴力や殺人に行かないでコンクリ事件みたいに輪姦とかもあり得たと思うし。

さわりだけ紹介します 投稿者:ダンボール 投稿日:2012/09/26(Wed) 09:49 No.169 Mail Home

連合赤軍兵士の犠牲死。それはいつか人類に到来するであろう世界共和国建設のための犠牲の死であり、世界内戦における戦場死です。総括を求めた者も、総括を求められた者も、総括を求める立場から総括を求められる立場に代わって死に至った者も、すべて世界内戦の過程における犠牲の死である。これら世界共和国建設のための内戦で倒れた死者は英霊としてまた同志として追悼する立場に私は立ちます。

Re: さわりだけ紹介します 投稿者:食満 投稿日:2013/02/14(Thu) 02:07 No.177
惨めな死に方としか思えないけどな。 来世でも引きずりそうなくらい。
あと生き残ったもの勝ちだと思うよ。

連合赤軍事件の総括 投稿者:ダンボール 投稿日:2012/10/24(Wed) 11:26 No.170 Mail Home

人間は、天使でも、獣(けだもの)でもない。そして、不幸なことには、天使のまねをしようとおもうと、獣になってしまう。
(パスカル『パンセ』第6章358節)

まこと『パンセ』は人により時代により様々な読み方ができる偉大な古典です。

追記 投稿者:ダンボール 投稿日:2012/09/25(Tue) 08:44 No.168 Mail Home
失礼しました。アドレスはこちらです↓

http://blog.goo.ne.jp/dan5dan5/e/dda4d8804811883401fe52c7811413ac#comment-list

三島由紀夫と連合赤軍 投稿者:ダンボール 投稿日:2012/09/25(Tue) 08:41 No.167 Mail Home
三島由紀夫の自決と連合赤軍の総括。このふたつの事件の内在する論理はどのようなものであったか。そのような主題のエッセーを私のブログに掲載しました。連合赤軍事件についての私なりの総括はコメントに詳しく展開しました。ご参照願えれば幸いです。下記↓

お願い 投稿者:コバ 投稿日:2012/08/06(Mon) 22:12 No.160
雪野様
この様な会があることをしりました。当時私は中学2年生で学校のテレビでクレーン車が大きなコンクリートのボールをぶつけているのを今でもよく覚えています。その後連赤関係の書籍はかなり読みました。雪野さんたちは結局通常の国民とは別世界で活動をしていたのだと思います。人一倍「人民のため」を口にして、今雪野さんは具体的に何が「人民のためになった」と思っていますか?読んだ書籍のなかで
ため息をついてしまった部分は「ブラジャーや、ガードルが必要か?」などと議論している部分です。結局男と女の違いもわからなくなっているわけです。しょせん雪野さん達は「革命ごっこ」をしていたのだと思います。この様なサイトを立ち上げるのは反省であれば良いとおもいますが、変にかっこつけたり、美化したりはしないで欲しいと思います。

Re: お願い 投稿者:赤目 投稿日:2012/08/15(Wed) 13:56 No.161
コバ様
はじめまして。コバ様の言うことにも一理あると思います。
しかし彼らが「かっこうをつけ」「美化」しているとはとうてい思えません。彼らはそれぞれ既に何年と牢屋に入り、また今現在もそれぞれのかたちで後悔や慙愧、負い目を感じて生きています。(←これはもう本当にそれぞれで、一概には言えませんが)
あれから40年経ち、ある当事者に聞いてみました。「亡くなった方々を思い出すことは?」「そんなの毎日思っている」と。またある人は「今はただ、生きているだけ」とのことでした。

Re: お願い 投稿者:雪野 投稿日:2012/08/15(Wed) 14:13 No.162
夏風邪で具合が悪く、応答しないうちに「赤目」さんが横から返信してしまいました。あわてて書いています。
結果的には、私たちの運動はコバさんの言うように「人民のため」にはなりませんでした。
「全体像を残す会」の活動は、その反省の上にたって、生き残った者の責任を果たすためにしています。

Re: お願い 投稿者:コバ 投稿日:2012/08/17(Fri) 22:52 No.163
雪野様、赤目様

ご返事どうも有難うございます。私が連合赤軍に関心を持ち出したのは、大学入学以降です。もう30数年前のことです。坂口さんは先輩になります。遠山さんは高校の先輩、ご実家も私の家の裏手の方、祖母や母は遠山さんのご家族を知っていた。寺岡さんは伯父と同じ町内。この3人の実像を聞くことがあったからです。

赤目様:「今はただ、生きているだけ」この言葉は重い人生を歩かれていることが本当に実感出来ます。
雪野様
理解の為にもう少し質問させて下さい。
a.残った者の責任とはどの様に考えられているのですか?
b.殉難者という言葉を使っていることに違和感を覚えます。
亡くなられた人の魂を慰霊することは大変理解出来るし、
私自身もその様な生命観を持っていますが、
どうして殉難者なのでしょうか?「犠牲者」ではだめなのでしょうか?雪野さんご自身が認める「人民のためになったものはない」運動になぜ殉難なのでしょうか? ご遺族の人達、雪野さんお仲間の内々で使われるのは構わないと思います。二度とあの様な事件が起きない為なら公開されたHP上に於いて殉難という言葉で次の世代に残していいのでしょうか? 殉難、殉教の意味を軽く考えられていませんか?

「殉難者」sについて Re: お願い 投稿者:雪野 投稿日:2012/09/24(Mon) 10:05 No.166
ずいぶん時間が空いてしまいました。
連合赤軍の山で殺された人たちは、一部は非合法活動に関与しました。銃器強奪や、教員の給与を奪うなど直接人民に害を加えたケースもあります。しかし、なんらそのような行為に関与しなかった人も多く、彼らは善なる意図のもとに活動し、誤った指導部の「総括」により究極の犠牲を払うことになったのです。
人民の利益のために一身をささげる信条に従って生き、その誤りに殉じて非業の死を遂げたのです。
このような意味で殉難者と言っています。

わたし自身の責任について言えば、長い間の「残す会」の活動を通じて果たそうとしてきました。
<「証言」発行にあたって>に述べられている通りです。

雪野様へ 投稿者:JAC 投稿日:2012/09/22(Sat) 09:04 No.164
雪野さんは一時、名古屋で活動していたと聞きますが
その頃に事を教えていただけませんか。

Re: 雪野様へ 投稿者:雪野 投稿日:2012/09/24(Mon) 09:40 No.165
1970年の一年間、名古屋で活動していました。表には出ず、公安にも把握されない状態で、加藤倫教君などと組織活動し、日中友好協会の若い会員や反戦グルーブを集め、同年末には中京安保共闘として10名程度の集会を持っています。しかし、その後指導部に召集されて関東に戻り、軍の諸君とともに北関東に潜ってその支援をすることになりました。
名古屋での活動の具体的内容については、加藤倫教君の『連合赤軍少年A』に詳しく書かれています。

5・13集会について 投稿者:野次馬 投稿日:2012/06/22(Fri) 22:03 No.159
5・13集会について、ブログに記事を書きました。
「野次馬雑記」
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/meidai1970

集会の第2部「当時者世代が語る」の発言をホームページに掲載しました。
「明大全共闘HP・時代の証言者たちコーナー」
http://www.geocities.jp/meidai1970/syougen.html

貴会が発行予定の「証言10号」についても紹介させていただきました。

連赤関連資料を公開しています 投稿者:野次馬 投稿日:2012/05/25(Fri) 20:01 No.157 Home
はじめまして。
5月13日のシンポジウムに参加させていただきました。
4部構成で約5時間でしたが、興味深い内容でした。
ゲストの方々も多彩な顔ぶれでよかったと思います。
ただ、時間が足りないという印象で、もっと話を聞きたかったというのが正直な感想です。

さて、当日のパンフレットの文献リストにも載っていますが、1972年4月に発行された「もっぷる通信特別号 3・31人民集会特集」の全文を私のホームページで公開しました。
また、ブログでも紹介しています。
よろしければご覧ください。

ホームページ 「明大全共闘・学館闘争・文連」http://www.geocities.jp/meidai1970/syougen.html
ブログ    「野次馬雑記」http://geocities.yahoo.co.jp/gl/meidai1970

5月13日のシンポジウムについても、近日中にHPとブログで紹介したいと思っています。

NHKニュース 投稿者:雪野 投稿日:2012/05/19(Sat) 02:50 No.156
シンポジウムのNHKニュースが、以下で見られます。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120514/k10015092791000.html

初参加しました。 投稿者:おおじ 投稿日:2012/05/19(Sat) 01:00 No.154
先日13日のシンポジウムに参加させて頂きました。
仕事中なので少しだけと思っていたのですが、あまりに興味深い内容で最後まで参加させて頂きました。
私は小学校5~6年当時、東京都北区の王子野戦病院近くに在住していました。
王子野線病院反対のデモ活動が活発な時期で、デモ活動がある度に見学に行っていました。
機動隊に追われ逃げ惑う学生さんと路地裏まで一緒に逃げ込んだ時、流血した学生さんを手当てする女学生の顔を今でも覚えています。
私は遠山さんだと思っています。
その女学生は王子駅近くの柳田公園でも見かけました。
当時の私にはデモ活動の学生さん達は憧れでした。
学生さん達の主義主張などは一切解りませんが、学生さん達は正義の為に戦っているとの感覚を小学生の私は持っていました。
デモ隊がよく歌っていたインターナショナルの歌は今でも頭に残っています。
最近になって、あの学生運動はどのような思想や背景があったのかと知りたくなり、ネットで60年安保から連赤までのいろいろな情報を得る過程で「全体像を残す会」の存在を知り今回参加させて頂ました。
今、社会情勢や時代の変化がこのような会を必要としていると思います。
今後のご活動頑張ってください

Re: 初参加しました。 投稿者:雪野 投稿日:2012/05/19(Sat) 02:47 No.155
うれしいお便りをありがとうございます。
夜中に目が覚めてメールをチェックしたところでした。
今後もこのサイトをごひいきにお願いします。
シンポジウムは単発の企画として準備しましたが、次はいつやるのか、とか、今度はこのテーマで、といった反応が多く、次回も検討したいと思います。

シンポジウムの参加者-約190名 投稿者:雪野 投稿日:2012/05/15(Tue) 09:34 No.153
資料代の入金状況、ゲスト・関係者などそれ以外の入場者の情報を勘案すると、合計で約190名になります。
全体を通して参加できず、一部の参加にとどまった人もいますので同時に会場にいた人数はより少なくなりますが。

13日のシンポジウム 投稿者:なるたる 投稿日:2012/05/14(Mon) 06:57 No.151
13日のシンポ、参加させて頂きました。長時間、お疲れ様でした。
あまりメディアなどで取り上げられたのを見たことがなかった前澤さんや青砥さんの発言はとても興味深かったです。

ただ、シンポの性格上致し方ないのかもしれませんが、基本的にゲストパネリストの方々との問答がメインで、個人的に一番興味を持っていた「当事者の方々が40年を獄中・獄外でどう過ごされてきたのか」については少し物足りなさが残りました。
もちろん個々人に語りにくいこともあろうかと思うのですが、皆さんがどう生きてきたのか、そして坂口さん・吉野さん・坂東さん?らはどう生きているのかなどなど……。
僕自身どう生きていけばいいのか迷いがあるので、自己啓発だとか人生訓的なものは嫌いですが、そういった点に非常に興味があります。

わがままを並べて失礼しました。今後もこのような催しを是非続けていただければ、本当にうれしいです。頑張ってください。

Re: 13日のシンポジウム 投稿者:雪野 投稿日:2012/05/15(Tue) 09:31 No.152
感想をありがとうございました。
多分、会のメンバーのほとんどにとって意外だったと思うのですが、シンポジウムの「続き」を要望する意見がほかにも多く寄せられています。
私の考えとしては、40周年のイベントであり、毎年開催できるとも思っていませんでしたが、皆で検討したいと思います。

質問なのですが 投稿者:ISO 投稿日:2012/05/06(Sun) 09:27 No.147
5月13日のシンポジウムですが
事前の申し込みをしなくても当日受付で入れるのでしょうか?
宜しくお願いします。

Re: 質問なのですが 投稿者:雪野 投稿日:2012/05/06(Sun) 21:53 No.149
予約なしで参加できます。
追悼会のように記帳もしません。
ぜひ、お越しください。

Re: 質問なのですが 投稿者:ISO 投稿日:2012/05/10(Thu) 19:19 No.150
ご返答ありがとうございました。

1968を読んで 投稿者:igaguri 投稿日:2012/05/06(Sun) 18:56 No.148 Mail
これは、ひとつの昭和史ですねエンタープライズ事件又日大闘争にしても、当時の行政権は、今では考えられないような強権を発動していたようですね、現在であれば、おそらく日大の総長は早期退陣していたでしょうし、エンタープライズにしてもそこまで強行な行使はできないでしょう。またこの時代に、エンタープライズに現在の原発のような事故が発生すれば日本は分裂していたかもしれませんね。当時は佐藤政権ですね、A級戦犯として、戦争責任を追及された岸総理(戦犯が総理大臣というのも変な話ですが)の弟ですね戦時の軍国主義的の支配的な統治がまだ色濃く残っていたのだと思います。もっとも原子力に関する考え方は今の政府も変わらないようですが。ところで日大闘争で疑問なのは私大である日大の不当な学費値上げに学生が立ち上がるのも分かるのですが、一番に経済的負担を強いられる父兄の方からの鬨の声が少ないように思えます。またセクトですか、待遇改善の闘争を革命闘争にまで広げて内ゲバを起こし犠牲を広げたことに関しては、私からは、理解できません。以上が1968を読んだ雑感です。

雪野健作様 投稿者:アンダンテ 投稿日:2012/03/31(Sat) 17:20 No.140
雪野様、
はじめまして。
先日、寺岡恒一さんのお母様にお会いしました。
あるきっかけから連合赤軍事件を知り、寺岡恒一さんのことがどうしても他人事とは思えず、ご遺族の方と接点を持つことができました。
寺岡さんは、雪野様から、今年が連合赤軍事件の40年の節目で、本を送りたいとの電話があったことをお話しくださいました。
本の中に寺岡さんのお墓の様子もあったそうでした。
雪野様は、事件で亡くなったご遺族の方のお墓参りもなさっていらっしゃるのですか?
寺岡さんは、雪野様が本を出版して事件の意味を考えてくれていることを知って感心したご様子でした。
寺岡恒一さんはとりわけ最も凄惨なご最期だったかたでもあり、お母様にはあまり事件について話題にすることを避けていました。しかし恒一さんのお母様は、事件のことを忘れたことはないとおっしゃっていました。
寺岡恒一さんは雪野様の活動に感銘を受けたと伺っています。
もし機会がありましたらあの当時、寺岡恒一さんと行動を共にしていらした時のお話しをお伺いできたら嬉しく思います。

Re: 雪野健作様 投稿者:雪野 投稿日:2012/03/31(Sat) 21:29 No.141
あなたのブログについては、一年ほど前に拝見し、寺岡君のお母様に会い行っていただいていることに、ありがたく思っていました。
亡くなった同志たちのお墓には、機会があれば参りに行っていますが、まだ行けていないところも多いです。
寺岡君のことなど、会ってお話しましょう。
下の「お問合せ」からメールアドレスを知らせてください。

雪野さまへ 投稿者:尾崎 投稿日:2012/03/23(Fri) 22:31 No.139 Mail
雪野様

ご丁寧な解答ありがとうございます。

小熊英二さんの「1968」ですか?
検索させていただいたところ非常に分厚い
内容なのでびっくりしました。自宅の近くの
図書館にも蔵書があるようですので、ぼちぼち
拝読させていただきます。
作者も私と同年代の方のようですので、より客観的な
資料のように感じられます。
余談ですが、私の場合は、バブル時代の影響を青年期に
受けた人間ですので、当時の方々とは、感覚がちがうのかも
しれませんね、もっともはじけてからは、浮き沈みの激しい
人生を歩んでおるようですが、(笑、皆様方とは比較になりませんが)

また、疑問点等があれば掲示版に載せさて頂きますので、

その時はよろしくお願いします。

ありがとうございました。



尾崎 英樹

分かりません 投稿者:尾崎 投稿日:2012/03/18(Sun) 00:13 No.137 Mail
私は浅間山荘事件当時小学校2年生でした。
オウム事件の時もそうだったのですが、皆様方は普通に社会生活を営もうとすれば平均以上な生活又身分を享受できた
方ばかりではないかと思います。思想的に当時の国家、行政等に相いれないものであったにしても当時の日本が皆様方の身内、家族にして不当に権利を奪い、人間の尊厳を害したわけではないと思います。皆様の行動は国家に対して、あたかも江戸時代の百姓一揆のように自己の生活、生命を脅かされ
止むを得ず実力行使に訴えずにはおれなかったような感じにすら思えます。そこで一つの疑問ですが当時の日本は、違法な公権力の行使というものが有無を言わせぬ強制執行といった形で現在と比較にならないくらい罷り通った時代だったの
でしょうか、思想的な理想があったにせよ、当時20代の方々が今の感覚からすればそこまで間尺(損得勘定)に合わない行動に走らせたものはなんだったのかが
私から見ると分かりません。

Re: 分かりません 投稿者:雪野 投稿日:2012/03/18(Sun) 14:04 No.138
運動の道に進んだ理由は、人によって違います。私の場合は、「身内、家族」への侵害こそありませんでしたが、再軍備から軍国主義の復活への危惧、アメリカのベトナム戦争への加担など、当時の多くの青年たちを捉えたものと同じ状況が、運動への参加を促しました。
日大生などの場合は、理事会の不正経理、それを告発する学生への体育会の暴力など、十分すぎる圧政が支配しており、ごく普通の学生が広範に立ち上がっています。
原潜、エンタープライズの寄港、水俣病などの公害問題、このような社会問題のほか、横浜国立大学では学芸学部を教育学部に名称変更する問題を巡って、先輩の世代が長期にわたる大衆的な闘争を繰り広げています。この学部の学生にとっては、自分たちの存在意義、社会の中での役割を巡る深刻な問題だったのです。
広い範囲で丁寧に跡付けた労作として「1968」(小熊英二)が参考になります。厚い本ですが、図書館から借りて読んでみたらどうでしょうか。

今さらながら『連合赤軍物語 紅炎』の解説がひどい件について 投稿者:えの 投稿日:2012/02/17(Fri) 21:20 No.129
 二十年ほど下の世代の者です。
 大学に入って自治会(ノンセクト系)で活動とか色々やっていた人間として、その体験から言わせてもらいます。この解説の冒頭で書かれてあることは無茶苦茶です。
 連合赤軍事件なんて我々にとってはなぁーんの関係もなかったです。
 正義や理想について語りたい奴は語ってたし、語りたくない奴は語らなかった。でも、連合赤軍事件のせいで語らなくなったなんてことは絶対にない。大昔に起きた何かよく分からない変な事件、我々にとってはそれ以上でもそれ以下でもありませんでしたよ。

Re: 今さらながら『連合赤軍物語 紅炎』の解説がひどい件について 投稿者:雪野 投稿日:2012/03/07(Wed) 23:31 No.135
若い人たちにとってはそうなのですね。
しかし、あの事件からしばらくの間、連合事件は人々に深刻な影響を与えました。何らかの運動に関係した人たちだけでなく、ものを考える人は皆、あの事件を意識せざるを得ませんでした。

スナック・バロン イベント案内 投稿者:植垣康博 投稿日:2012/03/04(Sun) 10:44 No.134 Mail
スナック・バロン
トークライブ

40年目の連合赤軍
            植垣康博

 連合赤軍事件から40年、今年もまた様々な形で連合赤軍の特集が組まれて
います。特に2月25日の東京での追悼会は80人程集まり、盛況で内容豊か
なものと成りました。そこで、スナック・バロンでも40年目の今日から連合
軍を振り返り、これからの時代に生かしていく方向を考えてみたいと思います。
是非、ご参加下さい。

日時 2012年3月24日(土) 午後7時~
場所 スナック・バロン
静岡市葵区呉服町2-5-22
ソシアルカドデビル4階(市役所裏通り)
会費 5,000円(飲食費込み)

連絡先 TEL 054-221-5236
携帯 090-7775-6079
                     植垣 康博

2月25日の行事 投稿者:平野國臣 投稿日:2012/01/21(Sat) 10:02 No.117
2月25日行事の案内を頂きました。

2ちゃんの「懐かしニュース」・連合赤軍山岳ベーススレッドに案内を告示することは構わないでしょうか?

Re: 2月25日の行事 投稿者:雪野 投稿日:2012/01/21(Sat) 10:50 No.118
かまいません。
ただ、今回の会場はそれほど広くなく、多数の参加を想定していません。
この事件に関心を持つ方々に対しては、5月13日に広いホールでシンポジウム「連合赤軍事件とあの時代をふりかえって」(仮題)を開催します。
パネリストは交渉を開始したところです。
一般の方は、こちらの方がよいでしょう。

遅ればせながら 投稿者:バロン植垣 投稿日:2010/12/21(Tue) 12:45 No.12 Mail
遅ればせながら、挨拶させて頂きます。元蓮赤兵士の植垣です。静岡市内でスナックをやっています。『全体像を残す会』では、あまり活動できていませんが、その代わり対マスコミ関係など対外的な所で、若干努力しています。書き込みは、打ち込みに時間が掛かるので、積極的ではありませんが、出来るだけ努力していきます。

Re: 遅ればせながら 投稿者:平野国臣 投稿日:2011/10/21(Fri) 16:36 No.61 Mail
先日、大きな図書館に行って、新聞のバックナンバーを捜してきました。そしたら、3月13日の毎日新聞朝刊に「“くさい男”植垣 イキな姿に転向」という見出しで、逮捕時の写真と長野地裁前の写真とが載っていました。軽井沢駅の売店のおばさんにしてみれば、よほどに異様に見えたのでしょうね。それから、このブレザーを着こなして、きれいに整髪している植垣さんの「イキな姿」ですけど、たしかに記者が記事にしたがるのもわかる。軽井沢駅前とはうって変わって、青春ドラマにでてくる二枚目俳優みたいじゃないですか。ずいぶんとイケメンだったのですね。もてたでしょうなあ。

「あさま山荘1972」の衝撃 投稿者:平野国臣 投稿日:2011/10/16(Sun) 02:59 No.58 Mail
今後、ハンドル名を花岡三郎→平野国臣に変えます。
坂口弘氏著「あさま山荘1972」(上)(下)(続)三冊を読み終えたところです。今、ズシーンとした衝撃が全身を捉えています。山岳ベースで回り続けていたミートグラインダーの正体、つまり、あそこで動いていた殺人マシンのメカニズムは何か?という疑問を、高校生の頃から初老の今にいたるまで時折抱いていたけれど、その都度、日々の多忙に紛れて、この疑問は脳裏から消えていった。その答えを今、優れた知性をもって示された衝撃ということでしょう。実に40年間、脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消えてきた疑問の解!この衝撃は強くて自分の今後も変わってしまう。この続きは2ちゃんねる「懐かしニュース」「連合赤軍山岳ベース」スレッドに書きます。

日本国内のみ、アクセスできる設定に変更 投稿者:ken 投稿日:2011/10/05(Wed) 21:09 No.56
海外からと見られるいたずらの投稿がありましたので、海外からはアクセスできない設定に変更してあります。

「連合赤軍物語」を読む 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/05/09(Mon) 19:44 No.41 Mail
読後感想文を書きました。時間があれば、一度訪問してやってください。

http://www.howitzer.jp/red/page01.html

度々申し訳ありません。 投稿者:toto 投稿日:2010/12/04(Sat) 02:14 No.6
ただ今会員版を見てみましたところ、そちらの掲示板は会員内部の連絡用との事で・・・大変失礼致しました。訂正して、次回よりこちらに書かせて頂きます。重ねましてお詫び致します。

Re: 度々申し訳ありません。 投稿者:ken 投稿日:2010/12/04(Sat) 10:15 No.8 Mail
totoさんもHP会員ですから、書き込んでいただいてもかまいません。

ごあいさつ(3) 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/02/16(Wed) 05:48 No.25 Mail
それから、そこまで若者を駆り立てたものは何か?ですね。
小学生の頃、近所の中学校や公民館でベトナム戦争の展示会があって、ボール爆弾の実物とか、ナパーム弾でケロイド状に火傷をした人々の写真などが展示されていました。あのような展示活動をした人々も大学生のお兄さんたちだったように覚えています。日本の米軍基地から爆撃機が飛び立って行って、たくさんの無辜の人たちを殺傷している、そのことに対する怒りが根底にあるなら、当時の若者たちの行動にも理解すべき部分がある。それは今でも、イラク戦争などを見れば言えることですよね。やり方、表現の仕方はともかく。

ごあいさつ(4) 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/02/16(Wed) 05:50 No.26 Mail
永田洋子の死を機に、連合赤軍事件の全体像はどうなのだろう、と思って「連合赤軍物語・紅炎」を読んでいるところですが、これまでの自分の理解がずいぶんと間違っていた、事実誤認や誤った解釈をしてきたことに気づかされています。「光あるところに影がある」ではないですけれど、影の部分の歴史を検証する旅に私も出てみようと思っているところです。
時々、覗きに来ますので宜しく。

文献リスト 投稿者:えの 投稿日:2011/06/23(Thu) 20:13 No.42 Mail
田原総一朗『オウムと連合赤軍』(花園紀男氏へのインタビュー)
和光晴生『日本赤軍とは何だったのか』(坂東國男氏について言及)

 最近、連合赤軍に対する従来のイメージをくつがえすような、新しい証言が出てきているように思われます。ここの「文献リスト」には載っていないようですが。
 それから、「永田洋子を送る会 報告」で、「行き続けることが闘いだった」じゃなくて、「生き続けることが闘いだった」でしょう。

ありがとうございます Re: 文献リスト 投稿者:雪野 投稿日:2011/06/24(Fri) 09:56 No.43
資料の情報、ありがとうございました。後日、リストに掲載します。
「連合赤軍」は、数十人による1年近くの活動の集積で成り立っています。関係者の具体的な証言が増えてくれば、それだけ「全体像」に近づけるでしょう。
誤字の指摘、ありがとうございました。あとで修正します。

荒岱介さんが死亡(続) 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/05/09(Mon) 13:27 No.40 Mail
鈴木邦夫さんのHPに荒さんの特集が出ています。この鈴木さんていう人は優しい人ですね。本当に右翼民族主義者?そんな極端な思想人なの?でも、「夕刻のコペルニクス」発刊のあたりで大転換したみたい。粋も辛いもわきまえている立派な人です。

http://kunyon.com/shucho/index.html

荒岱介さんが死亡 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/05/07(Sat) 17:56 No.37 Mail
したそうですね。「連合赤軍物語」に登場している人、当時の証人ともいうべき人がまたひとり、逝去しました。前にも書きましたが、あさま山荘で全てが終ったわけではなくて、関係者のその後の物語も含めての歴史だと思うのですよ。荒岱介さんは直接の関係者ではないけれども、当時の空気を知っている人には違いない。連合赤軍事件は戦後昭和の黒歴史、我々の負の歴史的遺産ですけれども、この遺産を語ることのできる人が徐々にいなくなっていく、このことに焦りを感じます。まるで何もなかったかのように日を消していくなんてことは許されない。一連の事件の研究を急ぎ、情報を多くの人と共有しなければならない、その必要性を感じます。

話を聞く計画を立てていたところでした Re: 荒岱介さんが死亡 投稿者:雪野 投稿日:2011/05/08(Sun) 12:38 No.39
本当に残念です。
会でも、昨年末頃以後、荒さんから話を聞く計画がありましたが、病状の悪化のためかないませんでした。
ただ、荒さんは『破天荒な人々――叛乱世代の証言』など当時の運動について多くの著作・対談を残しています。
これらが残されたことをわずかな慰めとしましょう。
あわせて、残された関係者からの聞き書きに、いっそう努力します。

その後の機動隊員 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/05/07(Sat) 18:36 No.38 Mail
知人に元機動隊員がいるので、「あさま山荘事件」のとき、どこでどうしていたか聞いてみました。彼は当時、すでにパトカー巡査だったそうですが、「あさま山荘」に派遣された機動隊員は彼の同期生とのことで、彼らは「あさま山荘」に派遣されたご褒美として、どんどん巡査部長に昇進し、多くは警備畑を歩んだそうです。彼に言わせると、「あさま山荘」で学生運動が下火になり、警察は得意の絶頂となった、そして内部の堕落が始まったとのことです。確かに、オウム真理教事件では松本サリン事件があったのに、地下鉄サリン事件を未然に防げなかった。あれは大失態のはず。その大失態にほうかむりをきめこんで、事後の手入れを「勝利」と宣伝しているなんて間抜けな話しです。

「永田洋子伝」を希望(続) 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/04/06(Wed) 22:43 No.35 Mail

バロンが永田洋子を「フツーの女性」と評していたのが印象的でした。僕が少年の頃、片方に「由美かおる」という、このうえなく美しい女性がいて、町のあちこちの板塀に、その姿を見ることができました。そして、もう片方に「永田洋子」という、ギリシャ神話にでてくるゴーゴンのような恐ろしく醜塊な化け物がいて、話すことさえたばかられた。後年、僕は他人の裁判に首を突っ込んだことで、ある「悪女」の存在を知って戦慄したのですが、一般的な犯罪における「悪女」に比べると、なぜか永田洋子は恐ろしくも何ともなく、むしろバロンが評するような「フツーの女性」いや「純粋な女性」にすら見えてくるのは何でかな?と思ってしまう。うーん、どうにも分からない。結局、材料が不足しているし、こちらも未熟ということなのでしょうけど、永田洋子の実像は、後世の人のために正確に伝える必要があると思いますよ。

Re: 「永田洋子伝」を希望(続) 投稿者:雪野 投稿日:2011/04/08(Fri) 17:27 No.36
同感です。
しかし、われわれ当事者は彼女とあまりに近いところにいたので、なかなか客観的にみることができません。
しかし、特異な人格であることは確かで、これについては私も『情況』2008年6月号に小論を書きました。関係者の具体的な証言の積み重ねと、彼女の大量の私信を分析するなかで、見えてくるものがあると思います。

「永田洋子伝」を希望 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/04/06(Wed) 06:32 No.34 Mail
先日、「永田洋子とは何だったのか」という催しに行ったのですが、バロンが一人ワーワーと気を吐いていて、とても故人を忍び、その存在についてしみじみと語り合う、という期待した状況ではありませんでした。僕も、どうしても永田洋子という人が分からない。何に魅せられて過激運動に身をゆだねていったのか?どうして運動に暴力を持ち込み、残虐な仲間の粛清まで行ってしまったのか?日本史におけるその存在位置、いや、宗教的なものも含めて、その人格、その存在を多角的に見つめるということが、まだ、できません。海音寺潮五郎が生きていたら「悪人列伝」に名を連ねる鬼女のような存在でしょうけれども、瀬戸内寂聴さんとの手紙のやりとりからは道を踏み間違った悲しい女、あわれな女という印象しか湧いてこない。どちらも実像なのでしょうけれども、類似の例が日本の歴史のどこにもでてこないし、事件史・犯罪史のなかにもでてこないと思う。それだけ特異な存在であり、昭和史から消し去ることのできない人であることは間違いないのだから、その全生涯を辿った記録というものがあってしかるべきだと思うのですよ。

「送る会」40名余で開催 投稿者:雪野 投稿日:2011/03/15(Tue) 07:26 No.33
13日の会は40名あまりで開催しました。
地震の影響で、その取材や親族・友人の安否確認でこられない方がだいぶおられました。
当初予定の方のほかに、8名の方からもお話を伺いました。
いずれの話も、とても印象深いものでした。
後日、「証言」に掲載します。
また、会員にはこのサイトから聞けるようにします。

「連合赤軍物語・紅炎」 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/02/18(Fri) 23:14 No.31 Mail

表題の本を読み終わりました。とてつもないものを読んじまったなあ、という読後感です。この先、どれほどこのテーマにのめりこむのか検討がつかなくなった。仕事も他の研究課題もあるのに。ただ、自分なりの感性で斬り込まないと気がすまない時代のテーマであることは間違いない。ただ、この本は連合赤軍物語の前半でしかない。「あさま山荘」以後の関係者の生き様も、それ以前にも増して重要だ。

「時代のテーマ」 Re: 「連合赤軍物語・紅炎」 投稿者:雪野 投稿日:2011/02/21(Mon) 23:45 No.32
われわれ当事者にとっても、実際に知っていることはごく一部です。
これまで関係者のヒアリングを重ね、ようやく一部の公表にこぎつけたところですが、「自ら語る」だけではおのずと限界があります。
どんどん「斬り込んで」下さい。
われわれも真剣勝負で斬り結びます。
そのなかから、より豊かな内容が浮かび上がってくるでしょう。

なぜ仲間を? 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/02/18(Fri) 09:52 No.30 Mail
「連合赤軍物語・紅炎」を読んでいて「総括の山」の章に至りました。不可解な部分はたくさんあるのだけれども、山岳ベースの粛清ほど分けの分からない事件はないですね。森っていう人がやたら難癖をつけて他人の手も借りて殺しまくっているようにしか思えない。類似の状況を敢えて挙げるなら北九州の監禁連続殺人事件に近い。誰も止めない。抵抗もしない。この犯罪心理に一応の解釈を付けられるようになるには何年かかるか分からないほどです。

ごあいさつ(1) 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/02/16(Wed) 05:45 No.23 Mail
第二次羽田闘争の時と思うのですが、私は中学生の頃、大田区西糀谷に住んでいました。国鉄蒲田駅西口でゲバ学生が暴れて見覚えのあるパチンコ屋とキャバレーが破壊されているのをTVで見て憤怒の思いにかられました。TVで見ていた理由は、両親もぼくも兄弟も店のシャッターを閉めて、なかで震え上がっていたのです。あさま山荘事件もTVに釘付けになって見ていました。日比谷高校に進学したとき、漢文の先生が担任をしていたクラスから、あさま山荘事件立籠り犯(たぶん、吉野さん)が出たということで、その先生が大変に嘆き悲しんでいたという話を聞いたことがあります。

吉野君に伝えます Re: ごあいさつ(1) 投稿者:雪野 投稿日:2011/02/17(Thu) 06:11 No.28
書き込み、ありがとうございました。
日比谷高校の漢文の先生が吉野君のことを嘆き悲しんでいたという話、面会に行っている彼の友人に頼んで、吉野君に伝えます。
蒲田駅西口でのデモ隊による商店「破壊」は、多分機動隊との立ち回りのとばっちりを受けたのではないかと思いますが、当時蒲田では「自警団」が作られていたので、それとの争いがあったのかもしれません。

Re: ごあいさつ(1) 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/02/17(Thu) 08:36 No.29 Mail
ちなみに、その先生の名は妹尾(せのお)先生です。その時の年齢から言って、もう故人となられているはずですが。

出棺は7日午前10時 投稿者:雪野 投稿日:2011/02/07(Mon) 00:54 No.17
お別れしてきました。
明日は、9時30分まで「スペース品川」に安置し、10時に出棺、徒歩数分の桐ヶ谷斎場で荼毘に付す予定です。
いずれの場所でもお別れができますから、希望する人はぜひいってやってください。
●桐ヶ谷斎場
品川区西五反田5-32-20、目黒線「不動前」下車徒歩7分、五反田駅より東急バス渋谷行「桐ヶ谷」下車徒歩1分
●スペース品川
桐ヶ谷斎場の東、徒歩3分

Re: 出棺は7日午前10時 投稿者:えの 投稿日:2011/02/07(Mon) 19:57 No.18 Mail
トップページには「密葬」って書いてあるんですけど……。

Re: 出棺は7日午前10時 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/02/16(Wed) 06:16 No.27 Mail
遺体の宅下げがあり荼毘に付される、それを知ってほっとしました。状況が良くないことはネット情報で知っていましたが、私の疑問は、万一の場合、引き取る人があるのかな、ということでした。最悪の場合、拘置所内の穴にでも埋められ無縁仏扱いにされかねないですからね。そんなぞんざいな扱いにならなくて良かった。関係者による密葬、これも良いニュースです。合掌。

ごあいさつ(2) 投稿者:花岡三郎 投稿日:2011/02/16(Wed) 05:47 No.24 Mail
 そういう経緯があるので、学生運動に良い印象を持っているはずはなく、初老に至る今日まで、ノンポリで過ごしてきました。
 ただ、今、あの連合赤軍事件や中核対各マルの内ゲバ、更には連続企業爆破事件も含めて一連の過激テロ行為は、戦後昭和の「黒歴史」として客観的に眺めてみる、そのような時期に至っているかな、と思います。

TBS「連合赤軍事件とは、いったいなんだったのか?」 投稿者:雪野 投稿日:2011/02/14(Mon) 23:23 No.22
TBSで2月11日放送された番組がnetで聴けます。
1週間しか保存されないというので、ご注意。

—————————————————
TBSラジオ
http://www.tbsradio.jp/dig/sample.html

「連合赤軍事件とは、いったいなんだったのか?」
パーソナリティは大根仁 と 水野真裕美

■スタジオに、連合赤軍事件をテーマにした漫画『レッド』の作者、山本直樹さんと
  朝日新聞・元論説委員の臼井敏男さんをお迎えしました。
  Dig1では、「連合赤軍事件とは、どんな事件だったのか」
  Dig2では、「連合赤軍事件が社会に与えた影響」
  Dig3では、「山本直樹さんの漫画『レッド』について」
  など、お話をうかがいました。

無題 投稿者:雪野 投稿日:2011/02/08(Tue) 14:51 No.20
遺族の立場はそうでしたが、本人と浅からぬ縁のあったものは行くべきと思い、行ける人には行ってもらいました。
7日も、植垣君が早朝に静岡から駆けつけ、金さんと共に、永田さんを送りました。

永田洋子さん 投稿者:えの 投稿日:2011/02/06(Sun) 21:05 No.16 Mail
お疲れ様でした。

『レッド』、受賞す! 投稿者:バロン植垣 投稿日:2011/02/02(Wed) 12:46 No.13 Mail
2月3日、山本直樹受賞記念パーティーが有ります。ぜひご参加下さい。

ありがとうごさせいました 投稿者:toto 投稿日:2010/12/06(Mon) 02:08 No.11
ken様、ご返答ありがとうございました。
ルールを遵守して活用させていただきます。
私の勝手な判断で恐縮ですが、お許しも得ましたので、会員専用掲示板を使わせて頂きます。
早速、質問を掲示させて頂きますので、会員専用掲示板を見て頂けますでしょうか?

質問です。 投稿者:toto 投稿日:2010/12/04(Sat) 23:23 No.9
ken様、ご返答ありがとうございました。
私は数々の連赤事件の書籍を読んでいるうち、いつしか、もしこの方々に会えたら、この方にはこの質問をぶつけてみたいという空想を持つようになりました。空想と書きましたのは、その方々の中に森恒夫さんや坂口弘さん等、故人や囚人も含まれている訳で、私自身のこの願望というのも、実現できる訳ない事として、あくまでも空想遊びの領域のものでした。それが急転直下と申しましょうか、当会入会の機会に恵まれ、これは一部、不可能を可能に転化できるチャンスではないのかと、今はそういう心境であります。ただ、私のこの(悪く言えばエゴとも受け取れる)連赤真実の希求がこのHPの趣旨、同義に反しはいまいか?「ここはこういう場じゃない!こういう事は個人同士でやってくれよ」と思う方もいらっしゃるのではないか? という心配があり、くどいようですが、再度確認致したくあります。こういう事は「アリ」でしょうか?
ご返事お待ちしております。

アリです Re: 質問です。 投稿者:ken 投稿日:2010/12/05(Sun) 10:47 No.10 Mail
そのような質問も【アリ】です。
当会の目的は、当事者の証言の公表を通じた「連赤真実の希求」であり、ホームページの公開もそのためのものです。
「連赤真実の希求」を目的とする質問であれば、歓迎します。
ただ、他方で「触れられたくない」と思っている関係者の意思は尊重しなければなりませんし、本筋を外れた興味本位の質問や、プライベートな質問、権力の介入をまねくような質問は避けてください。
「これはどうかな」と思う場合は、非公開の会員専用掲示板や当方へのメールや電話であらかじめ確認していただくのが望ましいです。

初めまして3 投稿者:toto 投稿日:2010/12/04(Sat) 01:52 No.5
(続き~)一昨年公開されました「実録・連合赤軍」が実名だった例もあり、実名の方がスムーズに整理し易く、そして、私自身が誰までが実名可で誰からが実名不可かという基準を持ち合わせていない為、私としては全て実名可を望んでいるのですが、それをする事で閲覧される皆様方に不快感を持って頂きたくありませんし、その辺りは全て雪野様のルールに従いたいと思います。
ご返答頂けましたら幸いです。長文失礼致しました。
なお、次回より会員非公開版に書き込ませて頂きますので、よろしくお願い致します。

Re: 初めまして3 投稿者:ken 投稿日:2010/12/04(Sat) 10:10 No.7 Mail
「証言」などで、私たちは次の原則に従っています。
1. インタビューの掲載、人名の掲載については、本人の同意を前提とします。
2. 故人、著名な運動家については、1.の例外として本名を記載する。
具体的には、「証言」で名前の出ている人については、出しても問題ありません。

初めまして2 投稿者:toto 投稿日:2010/12/04(Sat) 01:37 No.4
(続き~)ですが、ここでは当事者の実名を挙げてよろしいものか、当事者の中にはあれだけの大事件ですから、「あの事は忘れたい」「あの事には触れてほしくない」と思っておられる方もいらっしゃるのではないかという思いがあり、悩んでおります。そうした方々にとっては、事件は消し去りたい過去の汚点であり、刑務所で十分な反省をされて、全てをリセットした上で出所後、実生活に戻られたのではないかと。
実名を挙げる事は、そうした方々にとっては「蒸し返し」の行為に当たるのでは?という疑念あり、まずはルールを聞いておかなければと思い、書き込ませて頂きました。(文字数オーバーにつき、以下追記します)

初めまして 投稿者:toto 投稿日:2010/12/04(Sat) 01:34 No.3
初めまして。下記の九州の者です。HNはtotoとさせて頂きます。皆様、どうぞよろしくお願いします。
雪野様。
先ほどはご丁寧な電話を頂きまして、大変ありがとうございました。相手様が雪野様と分かり、正直驚きがあり、気持ちが少し動揺してしまいまして、肝心のこのサイトでのルールを聞きそびれてしまいました。
私は僭越ながら連赤事件を深めたい、真実に近づきたい、そして私なりの連赤事件の答えを見つけたいという思いを強く持っております故、雪野様他、皆様方に様々な質問を準備しております。(文字数オーバーにつき、以下追記します)

入会 投稿者:ken 投稿日:2010/12/03(Fri) 21:36 No.2 Mail
九州の方から、ホームページを通じて入会の申し込み。
以下、了解を得てメッセージを引用します。

私は連赤事件の真実を深めたい、そしてこの事件を決して風化させてはならないと思う者です。
今から十余年前に「16の墓標」に出会って以来この事件の事を深く知りたいと思い至り、当事者の手記や事件関連の書籍を集めて参りました。が、ここのところ新刊も出ず、行き詰まりを感じていたところに、「証言」シリーズの、そして当会の存在を知りました。現在馳せる思いでメールをしている次第です。
周りに連赤を語れる仲間が皆無で、連赤事件を深めたいという私の願望は私の地域では叶えられないに等しく、このサイトでの交流からそれができたらと思っています。
どうぞよろしくお願いします。

公開掲示板 投稿者:雪野 投稿日:2010/11/17(Wed) 23:44 No.1
ここは公開の掲示板です。

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